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今日はヨーガの歴史について、紐解いていきたいと思います。

以下に、グレゴール・メーレ著『現代人のためのヨーガ・スートラ』の序章に書かれている内容を抜粋して、()でわかりやすく解説したいと思います。

ヨーガの歴史を、『自然主義』、『神秘主義』、『哲学』、『テクノロジー』の4つの段階に分けて、それぞれの心の状態の変化に注目して、理解していきましょう。

第一段階 自然主義
太古の初め、人は自らに調和し、自然とともに生きていた。概して皆、人間に内在している真実、神聖なる本来の姿に触れていた。人々は真実、美、価値を自分自身の中や自分の周りに見出し、宗教も哲学もさして必要とはしなかった。(この時代に編纂された経典が『ヴェーダ』です。この時代の人は皆が悟りを得たサマーディ・マスター。)
人々の生活はシンプルで自然であった。
自然主義の時代、大半の人々は心(マインド)を筋肉のように用いていて、必要な時のみ心を動かしていた。心を働かせる必要のない時は、心の動きは停止(二ローダ)させていた。人々は当然のこととして本来の姿(サマーディ)にとどまっていた。
この時代の人々は、心を停止・『止滅』することが出来ていた。(ヨーガとは、心の作用を止滅することである。←ヨーガ・スートラ1,2から)
しかし、時を経るとともに調和のとれた自然主義の時代は衰退していった。人々は本来の姿とつながりを持つことはなくなり、同時に聖職者(バラモン・カースト)による身分制度の持つ力が増大した。(この時代にヨーガを実践する人は、ごく一部の行者や隠遁者、世捨て人などの間だけで口伝で伝えられ、一般には広まっていなかった。むしろ出来て当たり前で、そもそも苦悩の種すらない。)
(これらの時代は数千から数万年単位で変わるとされ、その圧倒的な数字に、自分のちっぽけさを感じます。)

第二段階 神秘主義
神秘主義の初めには、失われた幸福を求め自分自身に問いかけるため、多くの人々が社会に背を向けて森に入った。多くの人々が心の止滅の状態を失い、心は『一点集中』するようになった。止滅の心に比べて一点集中の心が不利なのは、常に何かを考えているとう言う点である。しかし、一点集中の心は今日の支配的な心と異なり、明快な解決に到達するまでは1つの事柄について考えることが出来るという多大な利点を持つ。(一点集中の心までくれば、真実のゴールまであと少し。ヨーガでは、対象を観察する集中力が必要です。)
この時期には瞑想を通じて自由を得たリシ(聖仙)と呼ばれるマスター(師)が多く存在した。(現在のインドでも、偉大なグルの周りには大勢の弟子達がいます。)
この段階では、まだ多くの人々は瞑想によって心を沈めることが出来た。師の話を聞くだけで、目覚めることが出来た。(師の教えを理解するためには、弟子の心が少なくとも一点集中でなくてはならない。)
(この時代に編纂された経典は『ウパニシャッド』であり、ヴェーダの奥義書として今に伝えられている。神秘主義の時代のヨーガは、かつて当然だったことが、その能力を失い、”隠された”秘伝になっていった。)
次第に、こうした神秘主義の時代は衰退する。

第三段階 哲学
哲学の時代が始まると、大多数の人間は集中する能力を失い、『散漫な心』を持つようになった。散漫な心を持つ者には、止滅の心を持つ師を理解することは出来ない。散漫な心は、混乱して揺れる心とも呼ばれ、もはや真実を自然に把握することは出来ない。まずは一点集中の心を持つ師に何をすべきかを体系的に説明してもらう必要がある。(自然主義の時代から見ると、かなりの墜落です。自身で自然とつながることがなくなり、苦悩の解決を外のもの(宗教や哲学)にすがるようになる。)
哲学の時代の始め、聖仙カピラが登場し、人類初の体系的哲学、サーンキャ哲学を開祖した。人々はもはや真実を自然に見出すことが出来ないため、体系的な段階を経て真実に到達する必要があった。(仏教、ヨーガ、ヴェーダーンタ、タントラなど、その後出現した新しい学派の哲学の多くは、カピラのサーンキャ哲学を基盤として作りあげられた。)
カピラの出現後千年ほどして、聖仙パタンジャリが登場した。彼は、シヴァ神から使命を受け、ヨーガを体系的に『ヨーガ・スートラ』をまとめた。(ヨーガ・スートラの内容は、この時代の人に向けられたもので、少なくとも現代の我々より高次な心を持っている。)
パタンジャリの後、ヴィヤーサが登場した。この時の人類の記憶力は著しく退化し、膨大な量のヴェーダを覚えていることが出来なくなっていた。ヴィヤーサはヴェーダを4つに分割して、それぞれを別のゴトラ(家系)に割り当ててそれを守るよう託したことで、ヴェーダの知識は彼の功績によって守られた。(この時代にお釈迦様やキリストなど、多くの聖者が誕生したとされています。まさに苦悩の哲学の時代、ヨーガ、ヒンドゥー教、仏教、キリスト教など、アプローチの違いはあるが、本質的な人類の救済は変わらない。神格を得た聖者は、必要とする時代・場所に現れ、世界を正すといわれている。)
そして時とともに世界は一層の衰退を経験していった。

第四段階 テクノロジー
自然主義の時代の人間は『止滅した心』を持ち、必要な時のみ考えて、その他の時には神聖な源である魂(ハート)の中にとどまっていた。
神秘主義の時代の人間は『一点集中の心』を持ち、止滅の心を持つ師のいくつかの指導により根源に戻ることが出来た。
哲学の時代の人間は『散漫な心』へと変わり、この時代に指導した師は、人々の心を一点集中の状態に戻すよう働きかけた。
そして私達が現在生きている時代の人間は概して『惑わされた心』、物質的な状態まで墜落した。(43万年続くといわれているカリ・ユガ期(暗黒の時代)の到来です。)
この時代の人間は、自分の体、富、外見、名声などで頭がいっぱいになっており、永遠で不死の神聖な中核となるものの存在を忘れてしまった。哲学を強調することのないこの時代の経典は「タントラ=技法」のみに関するものに変わり、いかに物事を行うかに関心を持つ。(ハタ・ヨーガなど、それらを源流とするヨガは全てタントラである。もちろんこの時代にも、聖者は誕生しています。)
哲学の研究のためにはまず、惑わされた心の時代を生きた指導者が教えたことを理解して初めて、パタンジャリ、ヴィヤーサという哲学の時代の師の教えを紐解くことが可能となる。こうした師の教えを吸収した後に、それ以前の一点集中の心の時代を生きた師のことを理解できる。これらの師たちのシンプルな魂のメッセージを理解すれば、止滅の心に到達し、私たちの本来の自己が認識できるという。(1つずつ段階を遡っていかなければならない。)

エピローグ 退行あるいは進化
ヨーギーは個人レベルにおいて、人類の経験してきた歴史的進展を逆転しなくてはならない。
サーンキャ哲学では、世界の進化の過程を下へ外へという動きとして描いている。最も高次なビックバン以前(宇宙が顕現する前の無)の状態から始まり、自然の本源は知性へと進化し、知性から自我が生まれる。自我から五大元素や心、身体が生まれ、進化の過程では、微細なものから粗雑なものへと進んでいく。
気づきの退化は、頭頂のチャクラから会陰のチャクラへと、自己理解は失われる。
ヨーギーの退行の過程は、この動きを内へ上へと逆転するものなのだ。地、水、火、風、空のチャクラを通じて内へ上へと進み、自我を知性へ、知性を根源へと再び吸収された時、自由と歓喜の状態である、意識と気づきという本来の状態の中にとどまることになる。

初めてこれを読んだ時、胸がドキドキしました。
ヨーガの教えも、人類の進化とともに変わっていったんですねー。
私達がこの時代に誕生した理由、使命、そして本来の姿とは?その答えを私達はすでに知っていて、経験しているんです。
ヨーガを通じてそれを思い出す、内なる旅に出てみませんか?

SattvaYogaShalaでは、ヨーガに関する質問は大歓迎です。
今さら聞けない初歩的なことから、ヨーガの不思議まで、私がわかる範囲でお答えします。
アーサナも哲学も、気になったらすぐに実践する、調べるを心がけて、心を上手に使っていきましょう。

PS:SNSでも告知しましたが、今月23日(月)にSattvaYogaShalaカレーWSを開催します。皆んなでスパイスを使った、ヴィーガン料理を作って、食べて、スパイスセットのお持ち帰りして、日常にスパイスを。
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