ナマステ〜、瞑想することを”座る”と言うSattva-Kenです。
瞑想って聞くと、少し堅苦しくて気軽な響きではないけど、”座る”ってなると良い感じに力が抜けて、自然でいられるから。
本当の意味での瞑想の境地もそう簡単ではないし、座るの方が意味としても合ってるなと。
さて、本日は昨日のサマーディのおまけってことで、もう少しサマーディについてお話しさせてもらいます。
皆さん、昨日のサマーディの話はご理解いただけたでしょうか?
なるべく分かりやすく説明するのも難しいですが、自分にとっても良い機会になっています。ありがとうございます。
サマーディの段階についての説明で、瞑想の対象を粗雑なものから始め、微細なものから心、自己へと、段階を追って進んでいくことを説明しました。
ここでの向かっていく方向、内側へ内面へ深層へ真理へ向かう方向というのが、実は重要で知っておきたいとこなのです。
以前の記事でも紹介しましたが、ヨーガの経典「ヨーガ・スートラ」の著者である大賢者パタンジャリは、ヨーガの構造を説明するにあたって、聖仙カピラの「サーンキャ哲学」をもとに語られました。
そのサーンキャ哲学についてみていきましょう。
まずはこちらのサーンキャ哲学の宇宙の進化(顕現)の図をご覧ください。
右上にある”プルシャ”が本来の私たちの純粋なる意識です。このプルシャには、思考も自我もなく、ただ傍観するのみの存在。この存在に出会う時、ヨーガの道は終わりを遂げます。
そして同じステージの左上の”プラクリティ”、この世界の元になる原質が存在しています。(二元論)プルシャ以外のこの世界の全てはこのプラクリティが根元です。
プラクリティはサットヴァ、ラジャス、タマスの3つのグナ(要素)で構成されて、均衡を保っています。
ここでは『起きる』前の無の状態です。
本来の私たちの意識プルシャ(見る者)がプラクリティ(見られる者)に観照(関心)すると、グナのバランスが崩れビックバンが起こり宇宙は顕現されます。
一番最初の進化はサットヴァな性質から”ブッディ”(知性)が生まれます。
ブッディは純粋な精神の原理、認識・精神活動の根源です。
ブッディの中のラジャスの活動で進化が進み、”アハンカーラ”(自我意識)が生まれます。
アハンカーラは自己への執着を持ち、他者と自分を区別します。
さらにアハンカーラの中のラジャスの活動で均衡が崩れ、”マナス”(意、思考器官)が生じます。
マナスは様々な思考を生み出します。
これらブッディ・アハンカーラ・マナスの3つを総称してチッタ(スートラ冒頭の心の止滅の”心”。)
この”心”の止滅こそがヨーガだと言います。
アハンカーラ(自我意識)が自分と区別するために、考える心(マナス)と五つの”感覚器官”が生まれ、外の世界と関係するための五つの”行動器官”が生まれます。
また、感覚器官に対して五つの”唯”(感覚の対象)が生まれ、唯(感覚の対象)から世界を構成する五つの”元素”が生まれ、物質世界が誕生しました。
ここでの”プルシャ”、”プラクリティ”、”ブッディ”、”アハンカーラ”、”マナス”、”感覚器官”、”行動器官”、”唯”、”元素”を合わせて25となり、この世界は25の原理で成り立っているとするのがサーンキャ哲学です。
私たちが現在見て感じて住んでいる世界はこの末端の物質世界です。
本来の自己(プルシャ)はこの進化の全過程を全て見て知っていますが、そこには一切介入しません。心があたかも私たち自身であるかのように働き、私たちの住む世界では、本来の自己は完全に忘れ去られており、目の前の現象世界に囚われています。
本来の姿と再び出会うために、ヨギーは瞑想・サマーディを経験しながらこの進化の過程を遡っていきます。
「ヨーガとは退化の行為」の所以はここにあります。
二日に渡りヨーガの目的地”サマーディ”について紹介しました。
これを見て、ヨーガに対する見方も変わった方もいるかもしれませんね。
アーサナの話は一切出てこなかったですが、アーサナを実践する上でも、この大いなる目標をしっかりと定めることで、最短で変容することが出来ます。
そしてこのような知識はあなたの内側からも変化を促します。
単純にヨーガをすればするほど幸せになります。
今現在幸せなあなたも、SattvaYogaShalaでもっと幸せになりませんか?
PS:古代の聖仙がサマーディの恍惚の強烈さについて説明しています。
富、権力、性的快楽を全て実現することで人間が経験できる最高の喜びの1兆倍に相当するそうです。ちなみに肉体から離れる瞬間は最高の喜びの100倍に相当するそうです。だからと言って死ぬのを楽しみにしちゃいけないよ。。。
ネパール・カトマンドゥのヴィパッサナー瞑想センター